7月17日。
録音機材はおおかた、パッキングして新得町へ送った。最小限だけ
7月の新得町はきっと涼しく、防音のために窓を閉め切っても快適
ところが、想定外の猛暑がちょうどレコーディングの初日から襲っ
もちろん、エアコンなんて設置されていない。吸音のためにメンバ
そして、5分に1回、パン!と言う音が響く。
近くの農場の鹿避け、熊避けとして、時々自動で空砲が鳴るのであ
ここでTAUライブ実行委員会の副委員長、HRMさんが「ちょっ
ある意味、TAUのアルバムがリリースできたのはHRMさんのお
ダニエル・ラノアが映画館でレコーディングしていたみたいに、レ
新得町にある新内ホールの音の響きは、忘れ難いものがあった。全
人が生き生きと暮らしていた建物。
音が木に染みこんでいく。一瞬で空に放たれて消えてしまうはずの
しかし、録音するとなると、かなりハードルが高くなるのも事実。
新内ホールは薄い壁にガラス窓、外からの音はバンバン入ってくる
そんなノイズさえも味方につけて、ある程度、味として、少々のこ
ここでしか得られない音を収めるために、僕らは初夏の新内ホール
そこでは、予想を上回る様々な困難が待ち受けていた。つづく。
今回のアルバム収録曲の作曲作業は、自分の経験の中でも、かなり
時々、自分はただの媒介になっているような気分になることがある
だから、机に向かって書いた曲は一曲もなくて、朝起きたての頭の
なんとかiPhoneのボイスメモに録音して、まだ記憶が確かな
歌詞に関しては、十勝で生まれ育った流さんに任せることにした。
もしかしたら霜月さんが作曲を手伝ってくれていたのかもしれない
ファーストアルバムには、カバー曲が1曲入っている。「新・十勝招き節」だ。
この曲は今から約85年前に佐藤霜月(さとう そうげつ)さんによって作曲された。
1921年、清水町で雑穀の仲立店と並行して、蓄音器やレコードを扱う楽器店を営んでいた霜月さんは、
自身でもオルガンやマンドリンを独学で弾き、作曲活動を行っていた。
NHK帯広放送局が開局した際には作曲した「狩勝おろし」が放送され、帯広で初めての”のど自慢大会”では審査員の依頼もあったという。
そんな霜月さんが十勝を盛り上げるために作曲したのが、「十勝招き節」だ。
当時の十勝観光協会の選歌にもなっている。
実は霜月さんはTAUのボーカル、流の祖父にあたる。
時には売り物を担いで旅をしながら音楽を続けていた祖父を、全国を旅をしながら歌を歌い続けている流が(記憶はほとんどないにせよ)何となく慕っているのは自然なことだと思う。
レコーディングでは十勝の観光大使を務めている三味線・唄の加藤恵理奈さんに参加してもらった。
ゲストとはいえ、もう一人の重要なTAUメンバーだ。
この曲を録音している時、常に霜月さんの存在を僕は感じていた。
霜月さんが納得するアレンジにしたかったし、みんなでワイワイとコーラスをしている時、
きっと喜んでもらえるだろうという確信があった。
TAUのアルバムは、霜月さんが残した意思や、空のどこかからの見守りによって、すいすいと
風のない湖面を漕ぐボートのように、進んでいった。そんな気がする。
85年前の作品を、現在を生きている僕らがもう一度記録する。
コーラスを録音し終えた時、僕はみんなに向かってこう宣言した。
この曲のタイトルは、「新・十勝招き節」にしよう!
佐藤霜月(1903 - 1976)
アルバムに収録する曲はオリジナルを中心に9曲。
最初にできた曲は、「おもち 」だ。
「おもち 」は、帯広在住の小学生、きくちりゅうせいくん9歳が、2年生の時に書いた詩。
六花亭が発行している児童詩誌「サイロ」に掲載された、優れた詩である。
その詩に感銘を受けた、絵本作家の長野ヒデ子さんがご自身の絵本に、掲載おめでとうと直筆の絵を書いて、
りゅうせいくんに贈ってくれたそうだ。
りゅうせいくんは、TAUライブ実行委員会の会長、菊地幸一さんの孫にあたる。
菊地さんのFacebookでそんなエピソードを知った僕は、
そのシンプルでありながら味わい深い詩にメロディー を付けようと思いついた。
思いついたらすらすらと浮かんできたので、簡単なデモを作って、
流さんにデータを送り、歌を入れてもらって送り返してもらった。
とても良い歌になったので、ぜひTAUのアルバムに収録させてもらおうとなった。
後にジャケットを作る時に長野ヒデ子さんは新たに素晴らしいイラストを描いてくださるのだが、
それはまた後の話…
今週の日曜日、朝9時から放送の、JAGA (FM おびひろ)流のHOME MADE RADIOは、
TAU特集です。流さんと僕がTAUについて、大いに語ります。ぜひ、聴いてください。
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ユニオンは動き出した。ここからメンバー探しの旅が始まった。
しかし、十勝に素晴らしいミュージシャンはたくさんいたので、短い小旅行となった。
まず頭に浮かんだのは、新内ホールでも演奏経験のある、馬頭琴・嵯峨治彦。
流のレコーディングやライブで何度もご一緒させてもらっているのだけれど、
馬頭琴というモンゴルの楽器を、ここまでポップスに昇華できる人は他にはいないのではないだろうか。
歌のバックでフレーズを奏でる時のセンス、ピッチ感、リズム、どれをとってもワールドクラスの演奏家だ。
そして、シンガーソングファーマーを自認する、宇井ひろし。
宇井さんは40年ほど前に千葉県から新得に移住し、有機栽培での野菜作りを行っている。
ずっと音楽と野菜と共に歩いて来た人だ。
アコーディオンが弾けるということで、ぜひ参加してくださいとお願いした。
二つ返事できうけてもらえた。
コーラスでも参加してもらっているのだけれど、宇井さんの声は、土の匂いがする。
土と一緒に生きて来た人の、深い声だ。
(余談だけど、宇井農場のとうもろこしや、じゃがいもや、人参。僕も買いましたが絶品です。)
ドラムが欲しいなと思っていたら、すぐに頭に浮かんだのが佐藤誠吾。
音更在住で、十勝の音楽シーンを支え続けている、まさに屋台骨のような人である。
プロドラマーとして東京で活躍したのち、地元の音更に戻り、演奏も続けながら、ライブハウスの経営もして、
若手の居場所も作って。
この5人で、まずは始めることにした。とりあえず組合員は5人(笑)
曲ができたら連絡します、と、伝えた。
佐藤亙です。これから少しずつ、ライナーノーツを書いていこうと思います。
今日は11月18日。昨日付の十勝毎日新聞で、TAUを大きく取り上げていただきました。(なんと誌面の4分の1!)先日のJAGA(FM おびひろ)「スキップ♪」に電話出演した時も、10分の予定を大きく上回って、30分、たくさん紹介していただいて、本当にTAUの地元、十勝の皆様に感謝です。
2020年、新得町にある元小学校を改装した新内ホールでボーカルの流さんとコンサートを開かせてもらった時、あまりにも響きが気持ち良いので、絶対ここに帰って来たいと思った。
コロナ禍が世界中に広がり、僕たちミュージシャンも今までのようにライブ活動ができなくなる中、音源を制作することで、来たるべきコロナ後の世界に備えようと思った。また、そうでもしないとなかなか正気を保つのも難しかったかもしれない。
家で掃除機をかけている時、突然、一つのアイデアが僕の頭に浮かんだ。
"新内ホールでレコーディングをするのはどうだろう?”
通常、音楽を録音するときは、防音された部屋や機材の揃ったレコーディングスタジオで演奏して、それを記録していく。僕はスタジオでの作業も好きだけれど、フィールドに出て録音するのも好きだ。
新内ホールは、録音に関して言えば、環境的に決して良いと思えない場所ではあるけれども
(高価な機材は無いし、防音されていないので外からの騒音が入ってくる)
その響きは何物にも変えがたいものがある。そして、やはり特別な経験として、僕やメンバーの記憶に残るものになるだろう。そう、記憶。人間は思い出を作って生きて、そして死んでいく生き物なのだ。
新しいバンドの名前まで浮かんできた。”Tokachi Acoustic Union”
十勝にゆかりのあるミュージシャンと一緒に、アコースティックな音楽の組合を作るのだ。
早速、流さんに構想を話した。二つ返事で、やろう!ということになった。
僕の頭の中にしかなかった小さな思いつきが、小さな芽を出した瞬間だった。